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【希望のりんごツアー】2016夏

2016-09-29

希望のりんごツアー

7月23・24日、希望のりんごツアーが行われた。
被災地・陸前高田のいまを見て、会って、聞いて、話して、体験する。
そして、なにより楽しんで、新しいふるさとにするツアーである。

一関に集合し、気仙沼へ。
斉吉商店「ばっぱの台所」で昼食。

希望のりんごツアー

さんまやかつお、三陸のとれたての海の幸を、ばっぱたちが調理。
まるで気のおけないおうちでごはんをいただいているような満ち足りた気分になった。

希望のりんごツアー

金のさんまは斉吉商店の名物。
このサイトで買うこともできる。
http://www.saikichi-pro.jp/

希望のりんごツアー

3代目・斉藤和枝さんの話を聞く。
明るく、パワフルな女性だった。
震災に負けず、おいしいもの作りで立ち上がった経緯は、みんなの心を打った。

帰り際みんなで手を振ってくれた。

 

希望のりんごツアー

被災者でもある佐々木浩美さんの案内による語り部ツアー。
いつものように慰霊碑に寄り、手を合わせる。
一本松を見学。

希望のりんごツアー

ほたて漁師佐々木正悦さんを港に訪ねる。
新しい作業場が完成、新しい船が竣工。

希望のりんごツアー

震災から立ち上がるために集まった米崎町ホタテ組合の面々は、それぞれの道を歩みつつある。
だが、大きな借金は残る。
希望と不安は交錯している。

 

箱根山テラスでは、地元・高田高校の1・2年生たち、箱根山テラスのスタッフに向けて、パン講習会が開かれた。
講師は、ZOPFの伊原靖友シェフ。

アシスタントを務めたパンクラブのひのようこさんの話。
「女子高生たちはみんなピュアでシャイ。
『生地を触ってみよう!』と伊原店長にうながされ、恐る恐る生地に触る感じがういういしくて、かわいかったです。
そのうち慣れてきて、店長が話しかけることに返事が返ってくるようになりました。
伊原店長はすごいなと思ったのは、パン作りだけではなく、人生についてや進路相談まで。
まったく別の世界で成功している人が話してくれるのは、高校生たちにとってすごくよかったんじゃないかなと思いました。
最後はみんなで写真を撮ったり。
もじもじしていたのに、最後はみんな楽しそうでした」

希望のりんごツアー

この模様は地元紙・東海新報でも取り上げられた。

 

希望のりんごツアー

金野秀一さんのりんご畑へ。

希望のりんごツアー

みんな自分のオーナー樹の成長を確認。

希望のりんごツアー

青りんごがなっているのに歓声が上がった。

りんごの季節ではなかったが、金野さんのお宅で食べる桃がとてもおいしかった。

希望のりんごツアー

その後、語り部さんの案内で、大船渡へ。
津波を避けるために人々が上った丘へ上がり、実際に津波がどこまできたかを、震災以前の写真と照らし合わせながら、教えてもらう。

希望のりんごツアー

実際に津波を体験した人の語るリアル。
そのときの恐怖が目に浮かぶようで、心の中で手を合わせた。

希望のりんごツアー

大船渡温泉で海の見える露天風呂を楽しんだあと、大船渡屋台村。
津波で店を失った人たちが集まってできた商店街。

お寿司、焼き鳥、おでん、ラーメン、ワイン、生牡蠣。
いろんな店から思い思いに買ってきた料理を、テラス席でわいわいと食べるのはとても楽しかった。

木造の落ち着いた雰囲気が魅力の箱根山テラスで宿泊。
地元のペレットを使った再生エネルギーによるエコな宿。

 

希望のりんごツアー

翌日はイベント「ピッツェリア箱根山 with ZOPF」。
伊原シェフ監修のもと、箱根山テラスのスタッフ、そしてツアー参加者が協力しあい、ピザで地元の人たちをおもてなしする。

希望のりんごツアー

震災以降、焼きたて手づくりのピッツァを食べられる店はなくなっている。
そのこともあってか、85人もの人が詰めかけてくれた。

希望のりんごツアー

ZOPF特製のローストポーク、石巻の金華さばを使ったバーニャカウダ、コーンスープ。

希望のりんごツアー

仕込み、飾り付け、お客様の案内、お皿洗い。
みんなが力を合わせて、お客さんによろこんでもらうために、心をこめる。

希望のりんごツアー

生地がおいしそうにふくらみ、発酵の香りが漂いはじめる。

希望のりんごツアー

ホタテは殻付きのものを慣れない手つきで恐る恐る剥く。

希望のりんごツアー

野菜は地元のものを使って、きれいに盛りつける。

希望のりんごツアー

ピッツアの窯の番をするのも、薪割もみんなで行う。

希望のりんごツアー

ピッツァには豪快に、とれたてのホタテをのせて。
あるいは、シャルキュトリーボヌールのベーコンを。

希望のりんごツアー

焼きたてのフォカッチャも。

希望のりんごツアー

気持ちのいい室内、テラス席で海を見下ろしながらピッツァを食べる。

希望のりんごツアー

アップルガールズをはじめ、陸前高田で希望のりんごがお世話になっている方達もきてくれた。
お客様には本当に感謝。

希望のりんごツアー

終わったあとの心地よい疲労。
ツアーの人たち、箱根山テラスの人たちをてんてこまいさせてしまったけれど、被災地ににぎわいを起こしたというたしかな充実感があった。

希望のりんごツアー

箱根山テラスとうつくしいりんご畑を、新しい観光の目玉にしたい。
焼きたてのパンやピッツァが気軽に楽しめる陸前高田にしたい。
そんな希望のりんごのヴィジョンに半歩近づいた1日となった。

【希望のりんごツアー】2015秋

2016-01-04

希望のりんごツアー

11月14日、15日、希望のりんご陸前高田ツアーが行われた。
一行がまず訪れたのは、和野会館。
りんご畑が点在する丘の上にあるこの公民館は、津波のあと家を失った人たちが避難し、苦しい日々を乗り越えた特別な場所である。

希望のりんごツアー

ポリ袋に小麦粉などの材料を入れしゃかしゃかとふるだけで生地ができる、通称「ポリパン」。
生地を触ることで楽しく元気になってもらおうと三陸の各被災地を飛び回ってポリパン教室を行う梶晶子さんを講師に迎え、パンケーキ教室を行った。

希望のりんごツアー

参加したのは米崎小学校仮設住宅の子供たち、和野会館に近い仮設住宅に住むお年寄り、そして米崎町のお母さんたち通称「アップルガールズ」。
そこに、ツアー参加者も加わって、パンケーキ作りを行う。

希望のりんごツアー

ポリ袋に粉や卵など材料を入れ、しゃかしゃかふると、だんだん生地ができあがってくる。
ふっているうちリズムにのってなんだか楽しくなってくる。

希望のりんごツアー

子供たちも、お年寄りも、現地の人も、よそからきた人も。
やりかたがわからないときには訊いたり、手伝ったり、共同作業を通じて、笑顔が広がっていく。
フライパンに生地を落とし、きれいな焼き色でできたときにはみんな大よろこび。

希望のりんごツアー

希望のりんごツアー

パンケーキに使う小麦粉きたほなみを提供してくれたのは、北海道の十勝・芽室町の小麦農家竹内敬太さん、鳥本孟宏さんと、帯広を代表するベーカリー「満寿屋」の天⽅慎治さん。
フェリーを使い一日がかりで被災地まできてくれた。
身近な食材を実際に作っている生産者に出会う貴重な機会となった。

希望のりんごツアー

ラ・テール洋菓子店の中村逸平シェフはとれたての米崎りんごを使ったジャム、そしてクッキーの作り方を教えてくれた。
人なつっこい笑顔と気配りと情熱でたちまちみんなの心をつかんでいた。

希望のりんごツアー

中村シェフが教えてくれた、とれたてのりんごで作るりんごジャムと、ポリパンで作ったパンケーキが合わさって完成。

希望のりんごツアー

今回は中村シェフの奥様も同行いただき、高齢の方にマッサージなどを施してくれた。
体と体が触れ合うことで、心まで解きほぐしたようで、施術が終わったあとはみんな笑顔になっていた。

希望のりんごツアー

アップルガールズはりんごをむいたりなどの下準備や会場の片付けなどなにからなにまでお世話になった。
その元気さにはうかがったこちらのほうがいつも励まされている。
明るい笑顔に会いにまた陸前高田までいきたくなってしまう。

 

希望のりんごツアー

宿泊は箱根山テラス。
地元で産出される木材を使った建築とペレットストーブのぬくもりが心地いい宿泊施設。

希望のりんごツアー

このたび、社長の長谷川順一さんが手作りで薪窯を新設。
そこで、ZOPFの伊原靖友店長がピッツァを作るという豪華な企画が持ち上がった。

希望のりんごツアー

箱根山テラスのスタッフさんたちとともに生地をこねる。
もともと梶晶子さんがポリパンをこの宿泊施設に伝授、カフェでコーヒーとともに手作りのパンを供しているうち、みんなパン作りが好きになっていた。
ツアー参加者とみんなでお手伝い。
伊原シェフの明るさにつられてみんな大いにピッツァ作りを楽しんだ。

希望のりんごツアー

漁師佐々木正悦さんがピッツァにのせるほたてや牡蠣をもってきてくれた。
いま広田湾であがったばかりのとれたてきらきら。

希望のりんごツアー

りんご農家の金野秀一さん、アップルガールズのみなさん。
いつもお世話になっている陸前高田の人たちといっしょにテーブルを囲み、語り合う。

希望のりんごツアー

大阪グロワールの一楽千賀さんが陸前高田の野菜や海の幸を使って前菜を作ってくれた。
ホタテと大根のサラダに、牡蠣のシチュー、ゆずとイカとカブの和え物…。

希望のりんごツアー

北海道チームは実は車に、竹内さん自作の窯を積んでやってきていた。
温度はどうか、薪のくべ方はどうするべきか。
長谷川さんらを交えて、火を囲んでの議論が楽しい。

希望のりんごツアー

いよいよピッツァが焼きあがると歓声が上がった。
牡蠣やほたてがとろけるようにおいしかったこと。

希望のりんごツアー

ソーセージやハムは、いつも陸前高田を応援してくれているブーランジェリーボヌールの箕輪喜彦さんが新たにオープンさせた「シャルキュトリー・ボヌール」のものを使用。

希望のりんごツアー

竹内さんのもってきたゴボウを使って伊原さんが焼いたカンパーニュ。
土作りにこだわったゴボウはまるまると太っていくらでも食べられるほど絶品だった。

希望のりんごツアー

金野さんのとれたてのりんごを薄切りにし、クリームを絞ってピッツァにのせる。
極上のデザートピッツァが焼きあがる。
陸前高田の海の幸・山の幸を最高の職人が薪窯で焼いた生地とともに食べる。
極上の時間となった。

希望のりんごツアー

「震災前はピッツァ屋が陸前高田にあったけど、なくなってしまった。
本当のピッツァを食べるのは久しぶりだな」
と金野さんも言う。
こんなお店を開き、遠くからりんご畑とパンを食べにきてもらう。
そんな私たちの夢が一足先にかなう夜になった。

 

希望のりんごツアー

翌日、雨にも関わらず、私たちは金野秀一さんのりんご畑を訊ねた。
赤いりんごが点々となる畑が細かい雨で煙る景色もうつくしかった。
金野さんの案内ととこに、悪天候の中みんな夢中になってりんご畑を巡った。

希望のりんごツアー

今年は真っ赤な大玉がついた。
晴天がつづいたことでりんごは大きく、赤く成長したのだ。

希望のりんごツアー

蜜はたくさん入り、平年よりさらにみずみずしく感じた。
収穫量も多かったのはよかったが、大きなりんごは痛みやすく、日持ちがしない。
そんなふうに毎年ちがい、さまざまなことがあるのが農業だと、ずっとこのりんご畑を訪れるうちに勉強させてもらっている。

希望のりんごツアー

りんごの樹オーナーになっている人たちは自分の木に対面。
半年ぶりの対面とはいえ、少し大きくなったことを実感する。
今年はまだりんごはついていないけれど、来年はりんごがなるはずだと金野さんは言う。

希望のりんごツアー

金野さんのお宅でりんごのいくつかの品種を食べ比べる。
いつも思うことだが、現地で食べるりんごがいちばんおいしい。

希望のりんごツアー

人と出会い、おいしいものを食べ、いっしょに盛り上がる。
自然や人の心という、大事なものをもらって、家路につく。
何度も訪れているうちに陸前高田が故郷同然になっていくのだった。

希望のりんごツアー

パンケーキ教室にご参加いただいたみなさま、金野秀一さん、アップルガールズのみなさま、長谷川順一さんはじめ箱根山テラスの方、関係者のみなさま本当にありがとうございました。

第2回:陸前高田「以心伝心」バスツアー

2013-11-17

今回で9回目を数える「パンを届ける」の活動。
11月16日、私たちは陸前高田市を訪れた。
まずは、3.11の語り部、「陸前高田市ガイド部会」の会長である新沼岳志さんの案内で被害の遭った場所を巡った。

風光明媚な海水浴場として、多くの人たちが訪れる観光地だった、高田松原。
江戸時代から340年つづいた貴重な松は、3度の大きな津波に耐えたにもかかわらず、3.11では「奇跡の一本松」だけを残して壊滅した。
「道の駅 高田松原」の廃墟。
コンクリートがぼろぼろになった無惨な情景を目にすると、津波の圧倒的なパワー、それに飲み込まれた人の悲鳴や嘆きが聞こえてくるようだ。

(高田松原の松の木の根っこが無惨な姿をさらす)

新沼さんが海岸を指し示し、ここに作られようとしている巨大な防潮堤の計画を説明する。
高さ12.5メートル、底面の幅はなんと50メートル。
総延長5キロを建造するための工費は230億円に及ぶという。
けれども、陸前高田を襲った津波の高さは最大13.2メートルだった。
3.11の津波さえ防ぐことのできない堤防に230億円の巨費を注ぐ。
根本的な疑問は、本当にこれが津波から人を守るのかということだ。
巨大な堤防を作れば作るほど、安心を人に与えるために、逃げる意識を失わせはしないだろうか。
また海への視界を遮るために、沖からやってくる津波を見ることができない。
3.11で生と死と境目になったのは、海が見える場所にいて、津波がやってくるのをいちはやく目にすることができたかどうかだったと、私は逃げ延びた人たちから聞いたことがある。
新沼さんによると、この防潮堤の計画は、市民の間でも賛否が分かれているそうだ。

(かつての陸前高田駅前。手に持っている写真は震災前の同じ場所を同じ角度から見たもの)

いま無人の荒れ地となっているここはかって陸前高田の駅前商店街だった。
海沿いのこの場所に陸前高田の駅舎があり、ロータリーから一直線に商店街がつづいていた。
新沼さんによると、この商店街に住んでいた商店主の8割が亡くなったという。
高田町にあった緊急避難所11カ所のうち10カ所を津波が襲ったからだ。
小高い丘の上にあったわずかに1カ所のみが難を逃れたと。
「地震がきてから最初の津波がくるまでの約40分間。
通帳や赤ん坊の着替えを取りに家に戻った人が津波に遭ったんだ。
チリ地震のときは、この線路までしか津波がこなかったことで、みんな安心していた」
自然は常に人間の想定を超える。
それを肝に銘じ、万一の準備を怠ってはならないことを、この風景は教えてくれる。

今回、私たちは活動の範囲を広げた。
2カ所の仮設住宅でバーベキュー、同時並行して、米崎コミュニティセンターでパン教室を行った。
陸前高田には依然としてパン屋はない。
普段、スーパーのパンしか食べられないお母さんたちが、自分でパンを作りたいと希望したもの。
講師はベーカリーアドバイザーの加藤晃さん。
オーブンをお持ちでない方でもパンを作れるように、フライパンを使ったレシピを用意。
地元でとれたりんごとさつまいもをフィリングに利用したパンはパン屋で売っているパンさながらにおいしかった。
また、買ってきた食パンに惣菜をはさんで手軽に作れる、カレー揚げパンやポテトサラダ揚げパンも披露した。

私たちが米崎小学校に着くと、お母さんたちがベンチに座って待ってくれていた。
たくさんのなじみの顔。
男性は炭の火を起こし、コンロを設営する。
お母さんたちの中で動ける人は食器を洗い、野菜を焼き、足の悪い人に取ってあげたりと助け合う。

今回はZopfから吉澤さんがやってきていつもの巻パンを作ってくれた。
ブーランジェリー ボヌールの若手、斉藤君もサポートにまわる。

パン作りが大好きなお母さんがいて、つきっきりで手伝ってくれる。
文字通りの「昔とった杵柄」、モチをこねる要領でパンをこねるのでとてもうまい。

巻きパンはすっかりおなじみ。
慣れた手つきで棒をまわし、子供たちが手伝う。
2歳になる女の子が恐る恐るパンを齧り、おいしいと笑顔になる。
この子は地震のとき、まだ母親のお腹の中だった。
月日は確実に流れている。

巻きパンを食べ終わったあとの棒を持って踊りだすお母さんがいた。
この地に伝わる、和傘を使った踊りなのだという。
手つき、腰つきの流暢さ、鮮やかさにみんなが手を叩いて、盛り上がる。

牡蠣漁師である大和田晴男さんが蒸し牡蠣を作ってくれた。
ガスボンベとコンロを持参、「大和田家の牡蠣」と青空に幟(のぼり)が立つ。

コンロから湯気が上がり、おいしそうなスープがたっぷりと漏れ出る。
奥さんが殻にナイフを入れ、むいてくれた蒸したての牡蠣を食べる。
豊かな磯の香りとともに濃厚な甘さがジューシーにまったりと広がった。
現地にこなければ食べられないおいしさ、豪快さ。

忙しい合間を塗ってバーベキューに駆けつけた理由を大和田さんはこう話す。
「震災のときはたくさんのボランティアの人たちがきて、筏の再建を手伝ってくれた。
いまその人たちに直接恩返しすることはできないので、きてくれる人には安く牡蠣を振る舞っています」

みんなが思い思いのものを持ち寄る。
米崎女性会のみなさんは、三陸ならではの味、さんまのつみれ汁を振る舞ってくれた。
現地のスーパー「マイヤ」に売られる、新鮮なさんまのすり身。
陸前高田のしょう油屋ヤマニのしょうゆにみそ、白だし。
そして地元でとれた根ショウガをきかせ、実にいいスープが出ていて、身も心もあたたまった。

米崎町の金野直売センターにご協力いただいた活きホタテ。
網の上にのせようとすると、
「指をはさまれないように気をつけろよ」
と漁師の佐々木さんから声がかかる。
無雑作につかみあげると、ホタテは本当に活きていて、貝を閉じて指をはさまれそうになった。
火にかけるとほどなく、ふたを開いて、おいしそうな汁を滲ませる。
身のふくよかさ、こりこり感、臭みもなく、ひたすらに甘い。
「ほら、藻がついたりして、貝が汚くなってるのがあるだろ。
こういうのがおいしいんだ。
海面の近くにいて、養分のたっぷり入った水を吸っているからさ。
牡蠣もいっしょだけど、ホタテを選ぶときはきれいなのを選んじゃいけないよ」

米崎町の目の前に広がる広田湾は、気仙川の淡水が流れこむ。
外洋で育てるのとちがって、川が運びこむ陸の養分によって、身が甘く、貝柱の大きい貝が育まれる。
牡蠣が築地では高値で取引されるように、広田湾は名漁場として全国的に知られている。

サンマに牡蠣にホタテ、野菜。
コンロの上に地元の産物がたくさん置かれた光景は感慨深いものがある。
震災直後、ここを訪れたとき、新鮮な食べ物などまったくなかったのだから。
筏を作ってもう一度海に浮かべ、稚貝をつり下げ、1年以上の時間をかけて育ち、作業所も再建して、そうしてやっと出荷できるところまで漕ぎ着けた。
人びとの努力によって復興はだんだんと確かなものになってきている。

たくさん食べて一服しているところに、ポータブルCDが持ち込まれ、米崎音頭が流れる。
すると、お母さんたちが列を作って踊りはじめた。
私たちもその列に参加し、みんなで米崎音頭を踊った。
はじめてのことだったけれどなんだか楽しく、仲間になれた気がした。

りんご畑のある丘陵地帯には、西風道(ならいみち)仮設住宅など、世帯数10軒前後の仮設住宅が7、8カ所も点在している。
規模が小さいゆえに、いままであまり支援の手が及んでいなかった場所。
そうした住民の方にきていただきたくて、和野会館でもバーベキューを行った。
この小さな公民館は、かって避難所として、被災者の方々が身を寄せあうようにして生活をともにしていた。
坂道をわざわざ上がってここにやってきたお年寄りたちが、野外に並べられたテーブルを囲む。
みんな楽しそうな笑顔。
同じ集落だった人が離ればなれになっていて、久方ぶりの再会の機会になった。

「グロワール」の一楽千賀さんが大阪からわざわざ駆けつけ、米粉のパンケーキを作ってくれた。
ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフもそれを手伝う。
希望のりんごを使ったジャムをこの日のために仕込み、いちご、桃、パインなどもパンケーキの上にトッピングしてかわいいパンケーキができあがり。
子供たちが大よろこびで競い合うように食べていた。

りんご農家の菊池貞夫さんは、前日に鹿を撃ち、私たちに振る舞ってくれた。
厚切りにしたジビエを炭火で焼く、堪えられないおいしさ。
米崎町の海も山も様々な生き物を育み、実に豊かなのである。

(加藤晃さんと米崎町女性会の人たちが作ったパンをみんなで食べる)

ボランティア団体「ラブ・ギャザリング」の辻めぐみさんは言う。
「子供に話かけたとき『僕、ここに泊まったことあるんだよ』と話てくれて、なんて答えてよいのか言葉に詰まってしまいました。
3.11のとき避難所となった場所は子供達にとって、とても怖い思い出があるところだと思います。
今回こうして同じ場所に集まり、みんなの笑顔を見て、この場所が子供達にとっても大切な記憶となると思うと、とても感慨深く、もっとたくさん楽しい思い出を作ってあげたいと思いました」

同じ米崎町という場所に、被害に遭われた方とそうでない方がいる。
そして、被害の程度も、元の職業に復帰できたかどうかも、それぞれ異なる。
そうした人たちが笑いあい、絆を深めあう機会に、このバーベキューがなったとしたら幸いである。

10月16日、台風26号によってりんごが落下、未曾有の被害が出た。
いまりんご畑はどうなっているのか。
一刻も早く見たくもあり、見るのが怖くもあった。
だが、私は安堵した。
りんごは以前見たときよりはまばらな印象だったが、それでもあちらこちらに、赤く、黄色くなっていた。
宝の山。
それらは丘を明るく照らすたくさんの灯火に見えた。
主力品種であるジョナゴールドは9割が落下したものの、なるべく長期に渡って出荷できるよういくつもの品種を育てていたこともあって、ふじをはじめ難を逃れたものも多い。

収穫を体験する。
「持ち上げるようにしながらまわすと取れますよ」
金野秀一さんに教えられたようにやってみると、ちぎらなくてもすんなりと取れる。
もぎたてのりんごを口にしてみる。
いつも思うことだが、この風景、この風の中で食べるりんごがなぜかいちばんおいしい。
酸味はすがすがしく、甘さはやさしく、自然の味がする。
都会で忘れがちな、自然の中で生かされているという実感を取り戻させてくれる。

金野さんのお宅でさまざまな品種の食べ比べをさせてもらう。
りんごはすべて同じようなものだと思っていたが、そうではなかった。
1ケース(5キロ)がなんと2万円で取引されるという紅いわて。
やわらかな食感もまったりした甘さも洋梨に似ている。
他にも酸味がきりりとしたもの、甘さが丸いものなど、それぞれの品種がそれぞれの魅力を放って、どれもおいしかった。

深夜11時。
田舎ならではの真っ暗な闇の中、1軒だけ明かりの灯った建物。
「夜11時にくれば仕事が見られるよ」
バーベキューのとき、ホタテの世話を焼いてくれていた漁師の佐々木さんにそう言われ、作業場を訪ねた。

なぜ11時なのか。
中からかんかんかんとたくさんの貝殻同士が打ち合う音が聞こえてくる。
漁師たち、お母さん、おばあちゃん。
こんな夜更けにたくさんの人たちが働いている。
北海道から運び込まれた幼いホタテにロープを通す作業。
水揚げされたホタテを6時間かけて船で運び、それが到着するのが夜の11時なのだ。
がちゃんがちゃんと繰り返す音。
佐々木さんが機械で穴を開けている。
それをロープに通すのは、主に女性の役目。
作業が終わるとホタテはまたトラックに積まれ、海に持っていってすぐさまイカダに吊される。
家族総出でこれを朝方までずっとつづける。

この作業所は近隣の漁業者4人が共同で営む。
かってはそれぞれが独立したホタテの養殖をしていた。
ところが、津波で作業小屋を失い、船を流された。
1艘の船、1軒の作業小屋をみんなで分け合うことを余儀なくされている。
船が少ないので、作業性は低い。
生育していた稚貝も失った。
船を買い、家を再建するために、多額の借金を背負った。

「天国と地獄」
と佐々木さんは言った。
かってホタテの養殖は稼げる商売だったが、いまだ生産は回復せず、年収は70万円に留まっている。
船や作業場や養殖筏を含め、被害の総額は1億5000万~2億円に及ぶという。
だが、悲観することはないと思った。
これだけおいしいホタテを世間が放っておくはずはない。
一度口にすれば、普通のホタテはもはや食べることができない。
りんご同様に応援することを約束し、活気に満ちた深夜の作業場を辞した。

翌日、一行はりんごの植樹を手伝った。
米崎町の一角に作られる岩手県農業技術センターによるりんごの新品種の展示場。
ジョナゴールドやふじの色も形もよくなった改良バージョン。
米崎りんごをさらに「希望」に満ちたものにするための実証実験である。

持ち慣れないスコップを握って穴を掘る。
苗木を運んで穴に入れる。
覆っていた不織布や茎を束ねるビニタイを取り除く。
土をかけ、肥料を与える。
大勢で手伝ったので、2時間ほどの作業で120本の植樹を完了することができた。

(別れを惜しむ、ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフと、りんご生産者の金野秀一さん)

いろんな人に会い、復興のたしかな足取りを目にした。
目を見て、話をして、短い間であるけれど希望や悲しみを共有する。
ささやかな応援のお礼に、心のかばんには思い出をいっぱいもらって、私たちは陸前高田米崎町を後にした。(池田浩明)

ご協力いただいた方々・団体

大和田晴男・三代子
大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
和野下果樹園
その外、ツアー参加者の方々

写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)

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