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【募集】希望のりんごツアー参加お申し込み<2019.10/5 – 10/6>
現在、ツアーのお申し込みが定員に達したため、募集を終了しております。
毎回ご好評いただいております、希望のりんご陸前高田ツアー参加者募集のお知らせです。
りんご畑で収穫作業や、これまでには訪れたことないスポットにも訪問予定ですので、初参加の方もぜひお気軽にご参加ください。
【希望のりんごツアー】2019春
2019年5月18日、19日に行われた「希望のりんごツアー2019春」。
一行は東北新幹線を一ノ関駅で下車、平泉の世界遺産「毛越寺庭園」を見学、「蔵元レストランせきのいち」で、酒蔵で作られるクラフトビールと郷土料理を堪能、陸前高田へ向かった。
陸前高田ドライビングスクールでは、田村満社長が震災の教訓を私たちに伝えてくれた。
震災のとき、田村さんはここを支援物資の集積と仕分の場所として開放。支援に入った自衛隊や警察、社屋を失った会社にも仮事務所としてのスペースを明け渡すなど、復興活動に尽力した。
そのときの同志が、地元の味噌・醤油メーカーである八木澤商店・河野通洋社長。
故郷・陸前高田に活気を取り戻そうと、2人を中心とした地元企業家による「なつかしい未来創造株式会社」が町づくりプランの作成や「未来商店街」の開業など、さまざまな活動・議論を重ねてきた。
ただでさえ震災によって多くの人が亡くなり、仕事を失って市外へ出ていく人が増え、さらに過疎が進めば、陸前高田は消滅してしまうのではないか? という強い危機感からだ。
陸前高田を、訪れたくなり、住みたくなる町にするため、田村さん、河野さんたちは、2020年秋、発酵パーク「カモシー」を開業する。
https://camocy.jp
八木澤商店による発酵レストランやセレクトショップ、りんごを発酵させて作るマイクロブリュワリーなど、発酵をテーマとした飲食店が集まる商業施設となる。
その目玉として、田村さんがオーナーを務めるベーカリー「マロ」がオープンする。陸前高田にりんごのパンが名物のパン屋さんを作り、たくさんの人を集めたいと思い描いてきた「希望のりんご」にとっては、まさに夢がかなうチャンス。全力で支援するしかないだろう。
ZOPFの伊原靖友シェフが、マロのアドバイザーを引き受けてくれた。震災の年から欠かさず私たちといっしょに陸前高田を訪れ、被災地への思いは人一倍。「行列が絶えない店」ZOPFのようなにぎわいを陸前高田へ持たらす力になってくれるだろう。
カモシーの立ち上げメンバーと顔合わせ。株式会社ソシオ エンジン・アソシエイツの町野弘明さん、服部直子さん。ロッツ株式会社の富山泰庸社長、走健塾代表の板倉具視さん。
河野社長に、高田地区から気仙川を隔てた今泉地区にある予定地をご案内いただいた。エネルギッシュな河野さんから夢のある話が次々と飛び出す。味噌・しょうゆ・日本酒の醸造が、古来盛んだった陸前高田の伝統を継承。未知で無尽蔵な発酵パワーを未来志向で生かし、グルメで健康マニアな現代人に刺さる「市場」を作り出す。
復興住宅建設のため山を切り崩した高台から、かっての中心市街地を見下ろす。津波が奪っていった街には瓦礫こそないが、いまだその当時と変わらぬほどがらんとしている。これから公園やスポーツ施設が建設され、復興の記憶を体験したり、スポーツの合宿で訪れる町として再建されていく。
中尊寺金色堂の金を産出したという場所にある「玉乃湯」を訪れたあと、人気の居酒屋「味彩」にて、りんご農家の金野修一さん、菊池清子さんらアップルガールズさんたちと夕食をともに。楽しいひととき。
広田湾を見下ろす絶景のホテル「箱根山テラス」にて宿泊。
翌朝、金野修一さんのりんご畑を訪ねる。ちょうどりんごの花の開花時期の終盤、金野さんの指導のもと摘花作業を行う。
摘花とは、大きなりんごを作るために、5つセットで咲くりんごの花をひとつだけ残し、あとは切除する作業。
参加者は、それぞれ自分がオーナーになっているりんごの木の摘花を行う。
いまやオーナー制度も5年目。木は枝葉を伸ばし、たくさんの花をつけているため、たった1本の木の摘花を終えるのも簡単ではない。りんご作りのたいへんさ、生産者の苦労がわかる。
金野さんのご好意で「お茶っこ」の時間に。アップルガールズも合流。ジュースの飲み比べや、お手製のがんづきをいただく。
「キャッセン大船渡」内の「THREE PEAKS WINERY」を訪問。
ワイン醸造の工房を及川武宏さんに案内していただく。陸前高田の古木になるりんごでシードルを、大船渡に植樹したぶどうでワインを醸造する。
ご両親とともに栽培するりんごから作るりんごジュースは、古木ならではのじーんと心に響くような味わいがある。
陸前高田の復興は道半ばだ。いまだ更地が多く残され、都会に比べれば人影も少ない。それでも、今回のツアーで出会った人たちは、町を盛り上げ、活気を生み出そうと、夢に向かって走りつづけていた。
同じ夢を見る私たちも、彼らを応援しつづけたい。
【希望のりんごツアー】2018春
5月18・19日、11回目となる「希望のりんご」ツアーを行いました。
最初に立ち寄ってランチを食べた「フライパン」。
陸前高田市米崎町、周囲にりんご畑がたくさんある場所で、りんご農家が営むカフェです。
熊谷克郎さんは東京・浅草のあんみつ屋さんで働いていましたが、震災に遭ったふるさとを見捨てておけず帰郷。
復興する店もまだ少なかった2014年に店をオープンしました。
名物はオリジナルのクラフトビール「りんごエール」。
ほのかにりんごの甘い香りがありました。
りんごで陸前高田を盛り上げたいという気持ちは、私たちと同じです。
ほど近い、希望のりんご農家・金野秀一さんの畑に移動。
りんごのお花見をする予定でしたが、例年より1週間早く開花。
ほとんど散っていました。
同じバラ科の桜の開花が今年早かったのと同様、春先に高温の日が多かったため。
でも、りんごの生育が順調なのはなにより。
私たちは農作業のお手伝いをしました。
この時期行われるのは摘花(てきか)。
花を摘んで、おいしいりんごを育てるための作業。
5つの花のうち4つをとって、ひとつのりんごだけを育てるのです。
参加メンバーは自らのオーナー樹の摘花にとりかかります。
りんごの苗を植えて、もう4年。
いまやたくさんの花がついて、一本さえ完了できませんでした。
生産者・金野秀一さんは、これを千本行います!
作業のあとは金野さんのお宅で「お茶っこ」の時間。
りんごジュースや、奥さんの真喜子さんの作ってくれたがんづき(地元で食べられている蒸しパン)をいただきます。
その後、歩いて、復興支援団体LAMPのりんご畑へ移動。
りんごの丘の中腹を横切る道。
5月の快晴のもと、眼下に広田湾を眺めながら自然の中を歩く気分は最高。
農作業を通じてニートの社会復帰を支援しながら、おいしいりんごを育てる。
高齢化し、離農が進む米崎町で、りんごの文化を残そうと、LAMPはがんばっています。
畑では、ホテルマンを経てLAMPに加わった吉田さんが、りんごを育てるよろこびを語ってくれました。
まちなかライブラリーPECHKAを訪問。
おいしいコーヒーを飲みながら、ゆっくりとした時間をすごせる場所です。
ツアー参加者に、陸前高田のみなさんにお届けしたい本をもってきてもらい、メッセージを添えて寄贈。
本を通して、陸前高田のみなさんとつながりが生まれますように!
夕食は、海のすぐそばのプレハブで営業する牡蠣小屋「広田湾」。
牡蠣漁師・藤田敦さんが営みます。
津波によって広田湾の牡蠣養殖いかだはすべて流されてしまいましたが、瓦礫の片付けからはじめ、藤田さんらの努力でひとつひとつ復活させていきました。
でっかい蒸し牡蠣がテーブルにどーん。
数個でおなかいっぱい。
栄養豊富な広田湾で育った牡蠣はこんなに大きく育つのです。
陸前高田では珍しい生牡蠣も。
牡蠣なんて食べられなかった震災直後のことを思い出すと、本当にありがたいなとしみじみ思うのでした。
牡蠣小屋「広田湾」は海の真ん前にありますが、店から海を見ることはできません。
目の前に防潮堤がそびえ立っているからです。
防潮堤の前に立って写真を撮ってみました。
シュールなほど人間が小さく映りました。
津波を防ぐために、海と人を隔てる。
人と自然との関わりまで隔てているような不気味な感じがしました。
ベルリンの壁や万里の長城やパレスチナの壁に通じる不気味さを。
津波であらゆるものが流されなくなったとき、それでも前を向いてまっさらなキャンバスに復興の夢をみんなが思い描いたものは、果たしてこれだったのでしょうか?
2日目。
宿泊施設「箱根山テラス」で迎えるさわやかな朝。
朝食は海を見ながらテラスでとりました。
ホタテとホヤの漁師・金野廣悦さんの漁船に乗せていただきました。
ガイドは、かって船長も務めた海の男・伊藤さん。
陸側から見るのとはまた違う、陸前高田の今の景色を見ることができました。
かっては多くの観光客を集めた高田松原の復活も進んでいます。
宮城県から砂を運んで海岸を造成、今年は1万5000本の松を植えるそうです。
船を降りたあとは、津波で壊れた大船渡線の線路跡をたどります。
小川に角材でかけた橋を渡り、野原を横切り。
スタンドバイミーみたいなちょっとした冒険。
着いたのは伊東由美子さんの畑。
震災のとき同じ避難所で運命をともにしたお母さんたちで結成された「アップルガールズ」が「お茶っこ」の準備をして待っていてくれました。
海岸沿いにあったかっての自宅にはもう住むことはできませんが、いまでも花を供え、畑に精を出し、行方不明のままのご家族の帰りを待っています。
以前訪ねたときは海の見えるのどかな場所だったけれど、いまは防波堤の足元。
アップルガールズ、漁師の金野さん、伊藤さん、そして私たち。
みんないっしょに「陸前高田の松の木」を踊りました。
高さ十数メートルの防波堤の下で。
以下、伊藤さんの畑までアップルガールズとたどったときのことを、希望のりんご事務局メンバー辻めぐみのFBから引用します。
「アップルガールズの菊池清子さんによる手書きの地図。
そこには被災した方達の家が書き込まれていました。
こんなに多くアップルガールズのお母さんたちの家が津波で流されていたのかと、地図を見てあらためて泣きそうになる。 」
「お母さん・漁師さんたちの家、ここはこんな花が咲いていて、隣り近所集まってこうだった、あーだったね…と、今は草に覆われてしまっている跡地を思い出を語りながらたどる。
自分だったら悲しくてきっと人に見せたくない、話す気にならないかもしれない。
でも、お母さんたちはそんな逆境も微塵も感じさせず、笑顔で明るくお話してくれる。
いつか清子さんは「生かされた命、友人の分まで明るく笑顔でいなくては」と話してくれた。
本当に優しくて、強い心を持った方だと心から思う。」
この日は母の日。
大阪のパン屋「グロワール」のみなさんがアイシングクッキーをアップルガールズさんにプレゼント。
心づくしのおもてなしに、心のこもったプレゼントで返す。
この共感が、復興への最大にして最強の応援になるにちがいありません。
次はまた秋にみんなで陸前高田を訪ねましょう。
【希望のりんごツアー】2017春
5月13・14日に希望のりんごツアーを行った。
被災地・陸前高田を新しいふるさとにしたい。
そこで人々とふれあい、観光によってお金を落とし、思い出をおみやげ話にして伝え、訪れる人を増やしたい。
そんな思いで春と秋の2回行っている。
最初に訪れたのは、一関市の猊鼻渓・川下り。
水墨画に出てくるような切り立った渓谷を船で進む。
川面すれすれから見る自然のうつくしさを愛で、肌で体感した。
終着地の大猊鼻岩では、運玉を楽しむ。
「縁」や「福」などと書かれた玉を投げ、穴に入ると、その願いがかなうという。
復興への思いを込め、投げる。
気仙沼へ。
高台工事が進み、港のにぎわいを取り戻しつつある。
気仙沼プラザホテルで海の幸と温泉を楽しむ。
その後、気仙沼ニッティングを訪問。
震災後、被災地に仕事を作ろうと起業。
編み物の上手な女性たちに委託、高品質でデザインコンシャスな物作りを行っている。
手編みの赤いニットを着たミッフィーちゃんはこの場所のマスコット。
今夜の宿、箱根山テラスについた私たちは、地元の人たちと行うパーティの準備をした。
ZOPFの伊原シェフは箱根山テラスの人たちといっしょにフォカッチャを作る。
ZOPFのパンもたくさん持ち込まれた。
漁師・金野廣悦さんが持ってきてくれたほたて、地元の野菜を炭火で焼いてバーベキュー。
アップルガールズのお母さんたちは、おこわや煮物、がんづき(蒸しパン)を持ってきてくれる。
NGBCの片山さんはポットを持ち込んで自慢のコーヒーを。
翌日が母の日でもあり、大阪のパン屋さんグロワールの一楽千賀さんは、アップルガールズに食べてほしいと、お店の名物パン・ド・グロワールでフルーツサンドを作る。
再会をよろこびあい、りんご農家・金野秀一さん、復興支援団体・SAVE TAKATAの松本さんも交えての宴。
最初は遠慮しあっていたが、話し込むと打ち解けあい、楽しい時間が過ぎた。
翌朝、金野さんのりんご畑で花見。
あいにくの雨だったが、りんごの花の可憐さは変わることがない。
オーナー制度の樹にももちろんうつくしい花が咲いていた。
それぞれ自分の樹に寄り添って記念撮影。
金野さんのお宅でひとやすみ。
何度きてもやっぱり、ここで食べるりんご、飲むりんごジュースがいちばんおいしい。
大船渡へ移動。
語り部・佐々木浩美さんの案内で、大船渡の景色が見渡せる加茂神社へ。
津波に飲み込まれた町、人たちのリアルな話を聞き、6年前のあの日に引き戻される。
心の中で手を合わせた。
4月に誕生したキャッセン大船渡で昼食。
全国区の有名店・黒船ラーメンや、海の幸のおみやげが買えるシーフロントなど、思い思いに食事やショッピングを楽しんだ。
その一方で、活気に満ちたプレハブの復興商店街・大船渡屋台村は、キャッセンの誕生を機に姿を消している。
私たちも何度か足を運んだ、お母さんの営むおでん屋さんは、屋台村の終了とともに店をたたんだ。
復興にも光と影がある。
これからも見守り、できる支援を行っていきたい。
【希望のりんごツアー】2016夏
7月23・24日、希望のりんごツアーが行われた。
被災地・陸前高田のいまを見て、会って、聞いて、話して、体験する。
そして、なにより楽しんで、新しいふるさとにするツアーである。
一関に集合し、気仙沼へ。
斉吉商店「ばっぱの台所」で昼食。
さんまやかつお、三陸のとれたての海の幸を、ばっぱたちが調理。
まるで気のおけないおうちでごはんをいただいているような満ち足りた気分になった。
金のさんまは斉吉商店の名物。
このサイトで買うこともできる。
http://www.saikichi-pro.jp/
3代目・斉藤和枝さんの話を聞く。
明るく、パワフルな女性だった。
震災に負けず、おいしいもの作りで立ち上がった経緯は、みんなの心を打った。
帰り際みんなで手を振ってくれた。
被災者でもある佐々木浩美さんの案内による語り部ツアー。
いつものように慰霊碑に寄り、手を合わせる。
一本松を見学。
ほたて漁師佐々木正悦さんを港に訪ねる。
新しい作業場が完成、新しい船が竣工。
震災から立ち上がるために集まった米崎町ホタテ組合の面々は、それぞれの道を歩みつつある。
だが、大きな借金は残る。
希望と不安は交錯している。
箱根山テラスでは、地元・高田高校の1・2年生たち、箱根山テラスのスタッフに向けて、パン講習会が開かれた。
講師は、ZOPFの伊原靖友シェフ。
アシスタントを務めたパンクラブのひのようこさんの話。
「女子高生たちはみんなピュアでシャイ。
『生地を触ってみよう!』と伊原店長にうながされ、恐る恐る生地に触る感じがういういしくて、かわいかったです。
そのうち慣れてきて、店長が話しかけることに返事が返ってくるようになりました。
伊原店長はすごいなと思ったのは、パン作りだけではなく、人生についてや進路相談まで。
まったく別の世界で成功している人が話してくれるのは、高校生たちにとってすごくよかったんじゃないかなと思いました。
最後はみんなで写真を撮ったり。
もじもじしていたのに、最後はみんな楽しそうでした」
この模様は地元紙・東海新報でも取り上げられた。
金野秀一さんのりんご畑へ。
みんな自分のオーナー樹の成長を確認。
青りんごがなっているのに歓声が上がった。
りんごの季節ではなかったが、金野さんのお宅で食べる桃がとてもおいしかった。
その後、語り部さんの案内で、大船渡へ。
津波を避けるために人々が上った丘へ上がり、実際に津波がどこまできたかを、震災以前の写真と照らし合わせながら、教えてもらう。
実際に津波を体験した人の語るリアル。
そのときの恐怖が目に浮かぶようで、心の中で手を合わせた。
大船渡温泉で海の見える露天風呂を楽しんだあと、大船渡屋台村。
津波で店を失った人たちが集まってできた商店街。
お寿司、焼き鳥、おでん、ラーメン、ワイン、生牡蠣。
いろんな店から思い思いに買ってきた料理を、テラス席でわいわいと食べるのはとても楽しかった。
木造の落ち着いた雰囲気が魅力の箱根山テラスで宿泊。
地元のペレットを使った再生エネルギーによるエコな宿。
翌日はイベント「ピッツェリア箱根山 with ZOPF」。
伊原シェフ監修のもと、箱根山テラスのスタッフ、そしてツアー参加者が協力しあい、ピザで地元の人たちをおもてなしする。
震災以降、焼きたて手づくりのピッツァを食べられる店はなくなっている。
そのこともあってか、85人もの人が詰めかけてくれた。
ZOPF特製のローストポーク、石巻の金華さばを使ったバーニャカウダ、コーンスープ。
仕込み、飾り付け、お客様の案内、お皿洗い。
みんなが力を合わせて、お客さんによろこんでもらうために、心をこめる。
生地がおいしそうにふくらみ、発酵の香りが漂いはじめる。
ホタテは殻付きのものを慣れない手つきで恐る恐る剥く。
野菜は地元のものを使って、きれいに盛りつける。
ピッツアの窯の番をするのも、薪割もみんなで行う。
ピッツァには豪快に、とれたてのホタテをのせて。
あるいは、シャルキュトリーボヌールのベーコンを。
焼きたてのフォカッチャも。
気持ちのいい室内、テラス席で海を見下ろしながらピッツァを食べる。
アップルガールズをはじめ、陸前高田で希望のりんごがお世話になっている方達もきてくれた。
お客様には本当に感謝。
終わったあとの心地よい疲労。
ツアーの人たち、箱根山テラスの人たちをてんてこまいさせてしまったけれど、被災地ににぎわいを起こしたというたしかな充実感があった。
箱根山テラスとうつくしいりんご畑を、新しい観光の目玉にしたい。
焼きたてのパンやピッツァが気軽に楽しめる陸前高田にしたい。
そんな希望のりんごのヴィジョンに半歩近づいた1日となった。
【希望のりんごツアー】2015秋
11月14日、15日、希望のりんご陸前高田ツアーが行われた。
一行がまず訪れたのは、和野会館。
りんご畑が点在する丘の上にあるこの公民館は、津波のあと家を失った人たちが避難し、苦しい日々を乗り越えた特別な場所である。
ポリ袋に小麦粉などの材料を入れしゃかしゃかとふるだけで生地ができる、通称「ポリパン」。
生地を触ることで楽しく元気になってもらおうと三陸の各被災地を飛び回ってポリパン教室を行う梶晶子さんを講師に迎え、パンケーキ教室を行った。
参加したのは米崎小学校仮設住宅の子供たち、和野会館に近い仮設住宅に住むお年寄り、そして米崎町のお母さんたち通称「アップルガールズ」。
そこに、ツアー参加者も加わって、パンケーキ作りを行う。
ポリ袋に粉や卵など材料を入れ、しゃかしゃかふると、だんだん生地ができあがってくる。
ふっているうちリズムにのってなんだか楽しくなってくる。
子供たちも、お年寄りも、現地の人も、よそからきた人も。
やりかたがわからないときには訊いたり、手伝ったり、共同作業を通じて、笑顔が広がっていく。
フライパンに生地を落とし、きれいな焼き色でできたときにはみんな大よろこび。
パンケーキに使う小麦粉きたほなみを提供してくれたのは、北海道の十勝・芽室町の小麦農家竹内敬太さん、鳥本孟宏さんと、帯広を代表するベーカリー「満寿屋」の天⽅慎治さん。
フェリーを使い一日がかりで被災地まできてくれた。
身近な食材を実際に作っている生産者に出会う貴重な機会となった。
ラ・テール洋菓子店の中村逸平シェフはとれたての米崎りんごを使ったジャム、そしてクッキーの作り方を教えてくれた。
人なつっこい笑顔と気配りと情熱でたちまちみんなの心をつかんでいた。
中村シェフが教えてくれた、とれたてのりんごで作るりんごジャムと、ポリパンで作ったパンケーキが合わさって完成。
今回は中村シェフの奥様も同行いただき、高齢の方にマッサージなどを施してくれた。
体と体が触れ合うことで、心まで解きほぐしたようで、施術が終わったあとはみんな笑顔になっていた。
アップルガールズはりんごをむいたりなどの下準備や会場の片付けなどなにからなにまでお世話になった。
その元気さにはうかがったこちらのほうがいつも励まされている。
明るい笑顔に会いにまた陸前高田までいきたくなってしまう。
宿泊は箱根山テラス。
地元で産出される木材を使った建築とペレットストーブのぬくもりが心地いい宿泊施設。
このたび、社長の長谷川順一さんが手作りで薪窯を新設。
そこで、ZOPFの伊原靖友店長がピッツァを作るという豪華な企画が持ち上がった。
箱根山テラスのスタッフさんたちとともに生地をこねる。
もともと梶晶子さんがポリパンをこの宿泊施設に伝授、カフェでコーヒーとともに手作りのパンを供しているうち、みんなパン作りが好きになっていた。
ツアー参加者とみんなでお手伝い。
伊原シェフの明るさにつられてみんな大いにピッツァ作りを楽しんだ。
漁師佐々木正悦さんがピッツァにのせるほたてや牡蠣をもってきてくれた。
いま広田湾であがったばかりのとれたてきらきら。
りんご農家の金野秀一さん、アップルガールズのみなさん。
いつもお世話になっている陸前高田の人たちといっしょにテーブルを囲み、語り合う。
大阪グロワールの一楽千賀さんが陸前高田の野菜や海の幸を使って前菜を作ってくれた。
ホタテと大根のサラダに、牡蠣のシチュー、ゆずとイカとカブの和え物…。
北海道チームは実は車に、竹内さん自作の窯を積んでやってきていた。
温度はどうか、薪のくべ方はどうするべきか。
長谷川さんらを交えて、火を囲んでの議論が楽しい。
いよいよピッツァが焼きあがると歓声が上がった。
牡蠣やほたてがとろけるようにおいしかったこと。
ソーセージやハムは、いつも陸前高田を応援してくれているブーランジェリーボヌールの箕輪喜彦さんが新たにオープンさせた「シャルキュトリー・ボヌール」のものを使用。
竹内さんのもってきたゴボウを使って伊原さんが焼いたカンパーニュ。
土作りにこだわったゴボウはまるまると太っていくらでも食べられるほど絶品だった。
金野さんのとれたてのりんごを薄切りにし、クリームを絞ってピッツァにのせる。
極上のデザートピッツァが焼きあがる。
陸前高田の海の幸・山の幸を最高の職人が薪窯で焼いた生地とともに食べる。
極上の時間となった。
「震災前はピッツァ屋が陸前高田にあったけど、なくなってしまった。
本当のピッツァを食べるのは久しぶりだな」
と金野さんも言う。
こんなお店を開き、遠くからりんご畑とパンを食べにきてもらう。
そんな私たちの夢が一足先にかなう夜になった。
翌日、雨にも関わらず、私たちは金野秀一さんのりんご畑を訊ねた。
赤いりんごが点々となる畑が細かい雨で煙る景色もうつくしかった。
金野さんの案内ととこに、悪天候の中みんな夢中になってりんご畑を巡った。
今年は真っ赤な大玉がついた。
晴天がつづいたことでりんごは大きく、赤く成長したのだ。
蜜はたくさん入り、平年よりさらにみずみずしく感じた。
収穫量も多かったのはよかったが、大きなりんごは痛みやすく、日持ちがしない。
そんなふうに毎年ちがい、さまざまなことがあるのが農業だと、ずっとこのりんご畑を訪れるうちに勉強させてもらっている。
りんごの樹オーナーになっている人たちは自分の木に対面。
半年ぶりの対面とはいえ、少し大きくなったことを実感する。
今年はまだりんごはついていないけれど、来年はりんごがなるはずだと金野さんは言う。
金野さんのお宅でりんごのいくつかの品種を食べ比べる。
いつも思うことだが、現地で食べるりんごがいちばんおいしい。
人と出会い、おいしいものを食べ、いっしょに盛り上がる。
自然や人の心という、大事なものをもらって、家路につく。
何度も訪れているうちに陸前高田が故郷同然になっていくのだった。
パンケーキ教室にご参加いただいたみなさま、金野秀一さん、アップルガールズのみなさま、長谷川順一さんはじめ箱根山テラスの方、関係者のみなさま本当にありがとうございました。
第2回:陸前高田「以心伝心」バスツアー
今回で9回目を数える「パンを届ける」の活動。
11月16日、私たちは陸前高田市を訪れた。
まずは、3.11の語り部、「陸前高田市ガイド部会」の会長である新沼岳志さんの案内で被害の遭った場所を巡った。
風光明媚な海水浴場として、多くの人たちが訪れる観光地だった、高田松原。
江戸時代から340年つづいた貴重な松は、3度の大きな津波に耐えたにもかかわらず、3.11では「奇跡の一本松」だけを残して壊滅した。
「道の駅 高田松原」の廃墟。
コンクリートがぼろぼろになった無惨な情景を目にすると、津波の圧倒的なパワー、それに飲み込まれた人の悲鳴や嘆きが聞こえてくるようだ。
(高田松原の松の木の根っこが無惨な姿をさらす)
新沼さんが海岸を指し示し、ここに作られようとしている巨大な防潮堤の計画を説明する。
高さ12.5メートル、底面の幅はなんと50メートル。
総延長5キロを建造するための工費は230億円に及ぶという。
けれども、陸前高田を襲った津波の高さは最大13.2メートルだった。
3.11の津波さえ防ぐことのできない堤防に230億円の巨費を注ぐ。
根本的な疑問は、本当にこれが津波から人を守るのかということだ。
巨大な堤防を作れば作るほど、安心を人に与えるために、逃げる意識を失わせはしないだろうか。
また海への視界を遮るために、沖からやってくる津波を見ることができない。
3.11で生と死と境目になったのは、海が見える場所にいて、津波がやってくるのをいちはやく目にすることができたかどうかだったと、私は逃げ延びた人たちから聞いたことがある。
新沼さんによると、この防潮堤の計画は、市民の間でも賛否が分かれているそうだ。
(かつての陸前高田駅前。手に持っている写真は震災前の同じ場所を同じ角度から見たもの)
いま無人の荒れ地となっているここはかって陸前高田の駅前商店街だった。
海沿いのこの場所に陸前高田の駅舎があり、ロータリーから一直線に商店街がつづいていた。
新沼さんによると、この商店街に住んでいた商店主の8割が亡くなったという。
高田町にあった緊急避難所11カ所のうち10カ所を津波が襲ったからだ。
小高い丘の上にあったわずかに1カ所のみが難を逃れたと。
「地震がきてから最初の津波がくるまでの約40分間。
通帳や赤ん坊の着替えを取りに家に戻った人が津波に遭ったんだ。
チリ地震のときは、この線路までしか津波がこなかったことで、みんな安心していた」
自然は常に人間の想定を超える。
それを肝に銘じ、万一の準備を怠ってはならないことを、この風景は教えてくれる。
今回、私たちは活動の範囲を広げた。
2カ所の仮設住宅でバーベキュー、同時並行して、米崎コミュニティセンターでパン教室を行った。
陸前高田には依然としてパン屋はない。
普段、スーパーのパンしか食べられないお母さんたちが、自分でパンを作りたいと希望したもの。
講師はベーカリーアドバイザーの加藤晃さん。
オーブンをお持ちでない方でもパンを作れるように、フライパンを使ったレシピを用意。
地元でとれたりんごとさつまいもをフィリングに利用したパンはパン屋で売っているパンさながらにおいしかった。
また、買ってきた食パンに惣菜をはさんで手軽に作れる、カレー揚げパンやポテトサラダ揚げパンも披露した。
私たちが米崎小学校に着くと、お母さんたちがベンチに座って待ってくれていた。
たくさんのなじみの顔。
男性は炭の火を起こし、コンロを設営する。
お母さんたちの中で動ける人は食器を洗い、野菜を焼き、足の悪い人に取ってあげたりと助け合う。
今回はZopfから吉澤さんがやってきていつもの巻パンを作ってくれた。
ブーランジェリー ボヌールの若手、斉藤君もサポートにまわる。
パン作りが大好きなお母さんがいて、つきっきりで手伝ってくれる。
文字通りの「昔とった杵柄」、モチをこねる要領でパンをこねるのでとてもうまい。
巻きパンはすっかりおなじみ。
慣れた手つきで棒をまわし、子供たちが手伝う。
2歳になる女の子が恐る恐るパンを齧り、おいしいと笑顔になる。
この子は地震のとき、まだ母親のお腹の中だった。
月日は確実に流れている。
巻きパンを食べ終わったあとの棒を持って踊りだすお母さんがいた。
この地に伝わる、和傘を使った踊りなのだという。
手つき、腰つきの流暢さ、鮮やかさにみんなが手を叩いて、盛り上がる。
牡蠣漁師である大和田晴男さんが蒸し牡蠣を作ってくれた。
ガスボンベとコンロを持参、「大和田家の牡蠣」と青空に幟(のぼり)が立つ。
コンロから湯気が上がり、おいしそうなスープがたっぷりと漏れ出る。
奥さんが殻にナイフを入れ、むいてくれた蒸したての牡蠣を食べる。
豊かな磯の香りとともに濃厚な甘さがジューシーにまったりと広がった。
現地にこなければ食べられないおいしさ、豪快さ。
忙しい合間を塗ってバーベキューに駆けつけた理由を大和田さんはこう話す。
「震災のときはたくさんのボランティアの人たちがきて、筏の再建を手伝ってくれた。
いまその人たちに直接恩返しすることはできないので、きてくれる人には安く牡蠣を振る舞っています」
みんなが思い思いのものを持ち寄る。
米崎女性会のみなさんは、三陸ならではの味、さんまのつみれ汁を振る舞ってくれた。
現地のスーパー「マイヤ」に売られる、新鮮なさんまのすり身。
陸前高田のしょう油屋ヤマニのしょうゆにみそ、白だし。
そして地元でとれた根ショウガをきかせ、実にいいスープが出ていて、身も心もあたたまった。
米崎町の金野直売センターにご協力いただいた活きホタテ。
網の上にのせようとすると、
「指をはさまれないように気をつけろよ」
と漁師の佐々木さんから声がかかる。
無雑作につかみあげると、ホタテは本当に活きていて、貝を閉じて指をはさまれそうになった。
火にかけるとほどなく、ふたを開いて、おいしそうな汁を滲ませる。
身のふくよかさ、こりこり感、臭みもなく、ひたすらに甘い。
「ほら、藻がついたりして、貝が汚くなってるのがあるだろ。
こういうのがおいしいんだ。
海面の近くにいて、養分のたっぷり入った水を吸っているからさ。
牡蠣もいっしょだけど、ホタテを選ぶときはきれいなのを選んじゃいけないよ」
米崎町の目の前に広がる広田湾は、気仙川の淡水が流れこむ。
外洋で育てるのとちがって、川が運びこむ陸の養分によって、身が甘く、貝柱の大きい貝が育まれる。
牡蠣が築地では高値で取引されるように、広田湾は名漁場として全国的に知られている。
サンマに牡蠣にホタテ、野菜。
コンロの上に地元の産物がたくさん置かれた光景は感慨深いものがある。
震災直後、ここを訪れたとき、新鮮な食べ物などまったくなかったのだから。
筏を作ってもう一度海に浮かべ、稚貝をつり下げ、1年以上の時間をかけて育ち、作業所も再建して、そうしてやっと出荷できるところまで漕ぎ着けた。
人びとの努力によって復興はだんだんと確かなものになってきている。
たくさん食べて一服しているところに、ポータブルCDが持ち込まれ、米崎音頭が流れる。
すると、お母さんたちが列を作って踊りはじめた。
私たちもその列に参加し、みんなで米崎音頭を踊った。
はじめてのことだったけれどなんだか楽しく、仲間になれた気がした。
りんご畑のある丘陵地帯には、西風道(ならいみち)仮設住宅など、世帯数10軒前後の仮設住宅が7、8カ所も点在している。
規模が小さいゆえに、いままであまり支援の手が及んでいなかった場所。
そうした住民の方にきていただきたくて、和野会館でもバーベキューを行った。
この小さな公民館は、かって避難所として、被災者の方々が身を寄せあうようにして生活をともにしていた。
坂道をわざわざ上がってここにやってきたお年寄りたちが、野外に並べられたテーブルを囲む。
みんな楽しそうな笑顔。
同じ集落だった人が離ればなれになっていて、久方ぶりの再会の機会になった。
「グロワール」の一楽千賀さんが大阪からわざわざ駆けつけ、米粉のパンケーキを作ってくれた。
ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフもそれを手伝う。
希望のりんごを使ったジャムをこの日のために仕込み、いちご、桃、パインなどもパンケーキの上にトッピングしてかわいいパンケーキができあがり。
子供たちが大よろこびで競い合うように食べていた。
りんご農家の菊池貞夫さんは、前日に鹿を撃ち、私たちに振る舞ってくれた。
厚切りにしたジビエを炭火で焼く、堪えられないおいしさ。
米崎町の海も山も様々な生き物を育み、実に豊かなのである。
(加藤晃さんと米崎町女性会の人たちが作ったパンをみんなで食べる)
ボランティア団体「ラブ・ギャザリング」の辻めぐみさんは言う。
「子供に話かけたとき『僕、ここに泊まったことあるんだよ』と話てくれて、なんて答えてよいのか言葉に詰まってしまいました。
3.11のとき避難所となった場所は子供達にとって、とても怖い思い出があるところだと思います。
今回こうして同じ場所に集まり、みんなの笑顔を見て、この場所が子供達にとっても大切な記憶となると思うと、とても感慨深く、もっとたくさん楽しい思い出を作ってあげたいと思いました」
同じ米崎町という場所に、被害に遭われた方とそうでない方がいる。
そして、被害の程度も、元の職業に復帰できたかどうかも、それぞれ異なる。
そうした人たちが笑いあい、絆を深めあう機会に、このバーベキューがなったとしたら幸いである。
10月16日、台風26号によってりんごが落下、未曾有の被害が出た。
いまりんご畑はどうなっているのか。
一刻も早く見たくもあり、見るのが怖くもあった。
だが、私は安堵した。
りんごは以前見たときよりはまばらな印象だったが、それでもあちらこちらに、赤く、黄色くなっていた。
宝の山。
それらは丘を明るく照らすたくさんの灯火に見えた。
主力品種であるジョナゴールドは9割が落下したものの、なるべく長期に渡って出荷できるよういくつもの品種を育てていたこともあって、ふじをはじめ難を逃れたものも多い。
収穫を体験する。
「持ち上げるようにしながらまわすと取れますよ」
金野秀一さんに教えられたようにやってみると、ちぎらなくてもすんなりと取れる。
もぎたてのりんごを口にしてみる。
いつも思うことだが、この風景、この風の中で食べるりんごがなぜかいちばんおいしい。
酸味はすがすがしく、甘さはやさしく、自然の味がする。
都会で忘れがちな、自然の中で生かされているという実感を取り戻させてくれる。
金野さんのお宅でさまざまな品種の食べ比べをさせてもらう。
りんごはすべて同じようなものだと思っていたが、そうではなかった。
1ケース(5キロ)がなんと2万円で取引されるという紅いわて。
やわらかな食感もまったりした甘さも洋梨に似ている。
他にも酸味がきりりとしたもの、甘さが丸いものなど、それぞれの品種がそれぞれの魅力を放って、どれもおいしかった。
深夜11時。
田舎ならではの真っ暗な闇の中、1軒だけ明かりの灯った建物。
「夜11時にくれば仕事が見られるよ」
バーベキューのとき、ホタテの世話を焼いてくれていた漁師の佐々木さんにそう言われ、作業場を訪ねた。
なぜ11時なのか。
中からかんかんかんとたくさんの貝殻同士が打ち合う音が聞こえてくる。
漁師たち、お母さん、おばあちゃん。
こんな夜更けにたくさんの人たちが働いている。
北海道から運び込まれた幼いホタテにロープを通す作業。
水揚げされたホタテを6時間かけて船で運び、それが到着するのが夜の11時なのだ。
がちゃんがちゃんと繰り返す音。
佐々木さんが機械で穴を開けている。
それをロープに通すのは、主に女性の役目。
作業が終わるとホタテはまたトラックに積まれ、海に持っていってすぐさまイカダに吊される。
家族総出でこれを朝方までずっとつづける。
この作業所は近隣の漁業者4人が共同で営む。
かってはそれぞれが独立したホタテの養殖をしていた。
ところが、津波で作業小屋を失い、船を流された。
1艘の船、1軒の作業小屋をみんなで分け合うことを余儀なくされている。
船が少ないので、作業性は低い。
生育していた稚貝も失った。
船を買い、家を再建するために、多額の借金を背負った。
「天国と地獄」
と佐々木さんは言った。
かってホタテの養殖は稼げる商売だったが、いまだ生産は回復せず、年収は70万円に留まっている。
船や作業場や養殖筏を含め、被害の総額は1億5000万~2億円に及ぶという。
だが、悲観することはないと思った。
これだけおいしいホタテを世間が放っておくはずはない。
一度口にすれば、普通のホタテはもはや食べることができない。
りんご同様に応援することを約束し、活気に満ちた深夜の作業場を辞した。
翌日、一行はりんごの植樹を手伝った。
米崎町の一角に作られる岩手県農業技術センターによるりんごの新品種の展示場。
ジョナゴールドやふじの色も形もよくなった改良バージョン。
米崎りんごをさらに「希望」に満ちたものにするための実証実験である。
持ち慣れないスコップを握って穴を掘る。
苗木を運んで穴に入れる。
覆っていた不織布や茎を束ねるビニタイを取り除く。
土をかけ、肥料を与える。
大勢で手伝ったので、2時間ほどの作業で120本の植樹を完了することができた。
(別れを惜しむ、ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフと、りんご生産者の金野秀一さん)
いろんな人に会い、復興のたしかな足取りを目にした。
目を見て、話をして、短い間であるけれど希望や悲しみを共有する。
ささやかな応援のお礼に、心のかばんには思い出をいっぱいもらって、私たちは陸前高田米崎町を後にした。(池田浩明)
ご協力いただいた方々・団体
大和田晴男・三代子
大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
和野下果樹園
その外、ツアー参加者の方々
写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)